最近のニュースを見て思ったこと

最近、新型コロナウイルスに関するニュースがひっきりなしに報道されている。

そこで、政府の対応が云々についてコメントするような番組も多い。

…それを見てふと思ってしまったことがある。

ああいうコメントをしている番組もそうだし、ニュースを見て色々言ったこともあるので私自身も含まれるのだが。

結果しか見ずに、ただそれに意見しているだけではないだろうか。

何が言いたいかというと、それを決めた側(主に政府?)が、どういった理由・考え方でそれに決めたかという部分が見れていないのではないか、と思ったわけだ。

例えば、感染症を抑えるためのプランとして、ここにプランA、Bがある。

この二つはメリット・デメリットが逆になっていて、例えば…プランAは感染を抑えることを重点的に見ており、経済を縮小するというもの。

プランBは、その経済に焦点を当て、経済活動を少しずつ再開するというものであるとしよう。

このとき、観点によってどちらを取るべきかが変わるのは言うまでもないだろう。

で、ここでプランAを行うとしてみる。

その場合、「そんなことしたら潰れる企業がどんどん出てくる」だとか、「生活していけなくなる」とかの反論が出ることが予想される。

逆に、プランBを行うとすると、今度は「感染を抑えないといけないから再開すべきでない」とかいう意見が出るだろう。

…お気づきだろうか。

少なくとも、全てを完璧にカバーできる方法などない、と私は思っている。

つまり、どこかは必ず犠牲となってしまうのだ。

その上で、じゃあどこを犠牲にすべきか、どうやったら犠牲を最小限に抑えられるかを考えて政策は取られているものだと思っている。

しかし、ニュースなどで報道されるのは「こうなったよ」という結果のみだ。

それじゃあ、どんな政策だろうと反論なんて出るに決まっている。

その犠牲となった部分について、「ここはどうすればいいんだ!」と言うだけで反論の完成である。

だからこそ、「なんでそうなったのか」という部分を明確にする必要がある。

例えば「この年代だけなら人数は○○くらいになり、その状況での再生産数がこうなるから、この年代に限っては通常の活動を再開すべきだ」、といった感じ。

あ、注意だがこの上の文はあくまで適当に考えた例なので気を付けてほしい。

この理由があれば、結論に対して犠牲となっている部分についても納得するか、間違っていても議論の論点が明確になる。

今回の問題だけでなく、政治に関しては犠牲が一切ない政策というのは存在しないとも思っている。

だからこそ、その結論に至った過程というのが重要なのではないだろうか。

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