現実、ネット上問わず、有名な方は大勢いらっしゃる。
そんな方に大体いるのが、「アンチ」だ。
アンチは、元々「反対」という意味がある。そこから発展し、その方に対して否定的な意見を持って、実際に反発するような人のことを表してる。
人には好き嫌いがあるし、自分の気に入らない人がいてもおかしくない。
ただ、わざわざそれをその人に向かって、自分からちょっかい出しに行くのはどうなのだろうか。
今回は、そんな心理をちょっと考えてみようと思う。
よく見るもの
Twitterなんかが顕著だろう。よく「クソリプ」とも言われたりするが、わざわざ人に対して、別に言わなくてもよくない?と思うことを言っている人を見かける。
種類も様々だが、徹底的に論理で相手の言っていることを否定していくタイプ、そもそも論を言うタイプ、それ以前に内容すら読まず暴言だけ吐くタイプ…などが挙げられると思う。
なぜそんなことをするの?
この前提として、アンチは「相手を嫌っている」とさせてもらう。単純に好意で「それは違うんじゃないかな」ってコメントするのはアンチではない。
さて、アンチの対象になるほど相手を嫌っている場合、多くの人はその相手を見下しているだろう。つまり、「自分の方が優れている」と思っているわけだ。
すると、ここは無意識になのだが、その「自分の方が優れている」ことの根拠を求めるようになる。
で、自分のことを過大評価、相手のことを過小評価して、その欲求を満たすのだ。これは問題だろう。
このように、問題を自覚できていない現象のことを、「自己欺瞞(じこぎまん)」という。これの厄介なところは、当の本人が「無自覚」だというところ。アンチは、本当に「自分が正しい」と思っている。
さて、評価だけで済めばまだいい。ここで、その評価だけでは足りないと、実際に相手を攻撃し始める。こうなると、立派なアンチだろう。
いや、それでも自分は違うよ
と思われる方がいらっしゃるかもしれない。その人は、間違いなく「自己欺瞞」に陥っている。
もちろん、私もその一人。書きながら、「自分は違うだろう。だって…」と考えている。この時点で、「自分は自己欺瞞に陥っていない」という自己欺瞞に陥っている。
アンチの厄介なところ
さて、こうしたアンチに対して、「いや、だから…」とコメントしたとしよう。間違いを指摘してあげるのだ。
そうするとどうなるだろうか…いや、想像するのは難しくない。
アンチ側からしたら「はぁ?何を偉そうに言ってるんだ!」となって、逆に火に油を注いでしまう。
なぜなら、アンチは自分が正しいと思い込んでいる。それを示そうとしたためにコメントをつけたのに、否定されては余計にエスカレートしてしまうのだ。
この問題自体の厄介なところ
さて、上まではいかにもアンチ側が全面的に悪いように書いてきたが、そうとも限らないと私は思っている。
例えば、アンチが攻撃している対象が、実際に何等かの脅威を振るおうとしている場合。これはどう考えても脅威を振るう方がおかしい。
次に、その対象自身もこの「自己欺瞞」に陥っている場合。これが厄介で、互いに自分が正しいと思っていることを無意識に証明しようとしてしまう。これでは、口論がヒートアップするだけだ。
なので、自分がアンチ側だろうとそうじゃなかろうと、いったん落ち着いて「本当に正しいのか?」と問い直してみるといいかもしれない。
自己欺瞞を助長するネットの特性
さて、Twitterを含めたネットでは、この「自己欺瞞」が発生しやすいと私は考えている。
なぜかというと…この「自己欺瞞」に陥って正当化しようとしている場合、その人は自分のことしか考えていない。
つまり、相手や周囲を「人」としてではなく、正当化の「手段」として見るようになってしまう。悪い言い方をすれば、「モノ」として見ることになる。
対面で話していれば、相手も一人の人間だと実感しやすい。が、ネット上だと相手の顔が見えず、この見え方を助長してしまう。これが、ネットの発達とともにアンチという言葉ができた理由の一つだろう。
何気なしにメッセージを送ろうとしているその手をいったん止めて、そこに相手が実際にいたらどういう発言をするか冷静に考えてみてはいかがだろうか。
まとめ
今回は、アンチと呼ばれる人たちの考え方を、「自己欺瞞」という考え方に当てはめてみた。そんなに的外れでもないと思う。
これは、私が知る限りでもかなりの人が陥っている状態だ。記事タイトルに「アンチの云々」書いてしまったが、そうでない人も、今一度自分を見つめなおしてみて欲しい。
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