昨日、テレビの再放送で「冤罪」で逮捕され、裁判で無罪を勝ち取った男性が特番で取り上げられていた。
このような「冤罪」に関する思いは、以前も一度記事にしている。こっちは誤認逮捕という言い方をしているが、同じものを指す。
で、今回の番組も見ていて色々と思うところがあったので、まとめてみようと思う。
誰もが考えることだろうが、ちょっと思いついたことがあったのでそれを深堀りしてみようかなと。
よかったら、見てみてほしい。
なお、前半はその事件自体についての思いを書いている。ここはどこも同じようなことが書いてあると思うので、飛ばしてもらっても構わない。
概要
昨日のテレビでは、男性がコンビニ強盗の犯人と間違われ、冤罪で逮捕されたという。
で、その男性は自分の無実を示す証拠を集め、あるいは警察が提示した証拠を否定し、裁判で無罪を勝ち取った。
最終的に無罪になり、その男性はその後結婚もされたそうで、「よかったね」みたいなことをテレビで話していた。
いや、それはないだろ、と思ってしまったのだ。
狂わされた人生
逮捕された男性は、当初追いかけていた夢を断念せざるを得なかった。釈放後、再度その夢に向かって今ではそれを仕事としているそうなので、結果だけ見れば確かによかったね、となる。
でも、考えて欲しい。本来であれば、最初の段階でその夢に向かっていた。
それを壊したのは、警察だ。
さらに、その誤認逮捕による賠償どころか、謝罪の一つもなかったらしい。その上、損害賠償を訴えたら敗訴、と。
その男性が、この一件で果たしてどれほどの損害を負ったのだろうか…想像もできない。
強すぎる警察の力
この番組を見て思ったのは、警察の力の強さだ。
確かに、警察は犯罪を減らすため、あるいは被害を最小限に抑えるために強い権力を持っている。
しかし、今回のような冤罪の場合、それが不当に強く感じられてしまう。
例えば、今回のテレビ番組の場合。
警察は、コンビニのドアから男性の指紋が検出された、そして犯人はその箇所に触れていたという事実だけで逮捕している。
これだけ聞くと、「いや、それはそうだろう」と思われるかもしれない。
しかし、詳細を見るとその意見も変わるだろう。
まず、一致したのは男性の「左手中指」の指紋。
次に、犯人は左手でお金を掴み、ドアを「右手」でこじ開けるようにして逃げる様子が防犯カメラに写っていたという。「左手」でドアに触れることは不可能だったのだ。
ここまで書くと、警察の証言がおかしいのに気づいていただけるだろうか。
また、男性はその数日前にコンビニへ買い物に来た際、実際に同じ個所に「左手」を触れていることが防犯カメラに写っていたという。検出された指紋はそのときのものだ。
これを発見した男性の母親には称賛を与えたい。…というかコンビニ店員も窓ふきとかしようよ、と思ってしまった。元同系列のコンビニ店員なのでちょっと気になってしまった。
最終的に、この証拠を突き付けることで、男性は無罪を勝ち取ることができた。
…いや、この言い方は良くない。こう言い直そう。
ここまでしないと、「普通に考えておかしい警察の発言」を覆すことができなかった。
これでは、警察がとりあえず事件を解決したいから、その男性を犯人に仕立て上げたようにしか思えない。
で、男性やそのご家族が動かなかったら、実際に犯人として認められていただろう。
こんなことがあっていいのか。
警察側の実態
ただ、警察官全員がそうだとも思っていない。
番組でも、専門家が再現VTRに出ていた警察官を指して「この人たちも上から指示されて…」みたいなことを言っていた。
つまり、お偉いさんの一部が、そういうことを強要する人なのだろう。
そういった一部の人のせいで、その指示を出された警察の方含め、多くの方が振り回され、男性に至っては「逮捕歴」というレッテルを貼られたことになる。
正直、許せない。
冤罪をなくすために
ここまでは、どこのページでも同じようなことが書いてあるだろう。改めて私が詳細を書くのもあれなので、短めにした。
本当に書きたいのはここからだ。思いっきり私の思いを書いていく。
うだうだ言ってるだけでは何も変わらない。せめて、どうやったらこれをゼロにできるかを考えてみよう。
嘘発見器
思いつくのは、「嘘発見器」だ。
これがあれば、「お前はこの事件の犯人か?」という投げかけに答えさせるだけで、簡単に判断ができる。ただ、ここに誤りがあると冤罪になり意味がないので、その結果には100%の精度が必要になる。
…が、これは不可能だろう。
嘘発見器の定義
さて、ちょっと曖昧な書き方をしてしまった。
そもそも「嘘発見器」とはどういうものかを定義しなければいけない。
ここでは、以下のような機器であると定義しよう。
ある人物にとって、その質疑への解答が真であるか、偽であるかを100%の精度で判定する機器
これはどういうことかというと、具体例で見よう。
例えば、ある人物にリンゴを見せたとする。
で、そのあとに、「今見させられたのはリンゴか?」と聞いたとする。
その人物は、確かにリンゴを見させられた。なので、「はい」と答えれば真、「いいえ」と答えれば偽が結果として出てくる。ここまではいいだろう。
では、またある人物に『間違った事実』を伝えたとしよう。
例えば、その人物に部屋である事件のニュースを見てもらう。しかし、その事件は嘘のものだ。ここで流れた事件は実際には起きていない。
で、そのあとに「今○○(嘘のニュースの内容)という事件が起きたか?」と質問しよう。
実際には起きていないのだが、その人物からしたら、ニュースでやっていたので起きたと思っているだろう。なので、この場合も「はい」と答えればその男性は嘘をついていない。つまり、結果としては「真」が出てくることになる。
こんなふうに、嘘発見器は「その人物にとって」というものを判断する。本当の事実とは関係ない。
ここまで書くと、恐らく何がまずいのか分かってくるだろう。
嘘発見器で犯人を見つけられないパターン
これが存在するのだ。
具体的には、本人が意図せずに犯罪を犯してしまうパターンだ。
例えば、ある人が友人に「この人形を○○さんに渡してくれない?」と頼まれたとしよう。
この人形に、例えば違法薬物が仕込まれていたとしたら、この人形を持っている間その人物は違法薬物取締法違反をしていることになる。
しかし、そこで嘘発見器を使ったとしよう。
「あなたは薬物を持っていたか?」という質問に対し、その人物は「いいえ」と答える。そして、それはその人物にとっては正しい。よって、嘘発見器では「真」と結果が出るだろう。つまり、嘘発見器では見抜けない。
…実際、このパターンに当てはまる場合の中には、その人物が本当に悪いかどうか議論の余地がある場合も存在すると思うが、あくまで例なのでそこは見逃してほしい。
とにかく、こういったパターンでは、嘘発見器では容疑者を見つけることはできない。
とはいえ、「最初に挙げたような明らかな強盗の場合は問題ないだろう」という声もあるかもしれない。それに対しても二つ反論をしてみよう。
嘘発見器の精度
最初の定義で、判定の精度を100%と定義した。
これなら、自分が行ったと明らかな場合は判断できる、ように思える。いや、判断自体は100%の精度で可能だ。
しかし、それでも実際に得られる結果は100%にはなり得ない。
なぜかというと、その嘘発見器の「故障」の確率をゼロにすることができないからだ。壊れないものなどないだろう。
例え機械の判定方法が100%の精度だったとしても、その機械自体に故障があったら、実際に出てくる答えは100%ではなくなる。
分かりづらいだろうか。ステップで考えよう。
この機器には、最低でも二種類の入力が必要になる。一つは判断される人物の回答。もう一つは、それが本当か嘘か判定するための材料だ。これが一つ目のステップ。
次のステップでは、それらを使って実際に本当か嘘かを判定する。これで、機器の中ではどちらかがはっきりする。前提では、ここが100%とした。…現実的には不可能だと思うが。
そして、実際にはその答えを結果として出力する必要がある。これが、三つ目のステップだ。これを100%にするのは、どうやってもはっきり不可能だと言い切れる。
「じゃあ実際に判定する前に壊れてないか調べればいいじゃん」、と思うかもしれないが、それも無駄だ。
その調べる、という行為で本当に100%壊れていないか確認できるのだろうか。
もし、それが100%壊れてないと言えても、その確認から実際の使用までに絶対に壊れないと言えるだろうか。
いずれも、ノーだ。こういった理由から、嘘発見器で精度100%の結果を出すことはできない。
で、元々冤罪をゼロにするためには、という考えで想定したものなので、誤差はあってはならない。
…まあこの時点で、私が結論で何を書くか、想像できる方がいらっしゃるかもしれない。が、その前に二つ目の反論を書こう。
自覚しているかの判断基準
そもそも、「最初に挙げたような明らかな強盗の場合は問題ないだろう」という意見の反論だった。
では、その「明らか」とは何だろうか。
例えば、さっきの違法薬物の例。これは、どっちにもなりうるのではないだろうか。
人形を手渡された場合に、「これには実は…」といった感じで真実を聞いてしまえば、自覚があることになる。
しかし、それがなければ上に書いた通り、自覚はない。
このように、どうやっても曖昧な部分が存在してしまう。
これでは、そもそもどういったときに「嘘発見器」を使用するのか、という部分で精度が曖昧になってしまうだろう。それと、嘘発見器が使えない場合のパターンも考えなければいけなくなる。
これで、結論が分かっただろうか。
結論
結論を言ってしまうと、どんなことをしても冤罪はゼロにはならない。
どうやっても、冤罪は発生してしまうのだ。
上に書いたように、「事実と異なる思い込み」というものがある。
例えば、冤罪をかけられた人物以外の全ての人が思い込んでいる場合。
こうなってしまっては、全員が犯人だと思ってしまっているので、もうどうしようもないだろう。いくら確率が低かろうと、これが考えられる時点でゼロにすることは不可能だ。
というわけで、考え方の元が悪かった。ゼロにしようという発想が間違っていたのだ。
冤罪を減らすために
では、今度は冤罪を減らそう、という発想にしてみる。ゼロは無理でも、今より数を減らせるのではないか、という考えだ。
これなら、現実的な案がいくらでも出てくる。全部は書けないので、二つほどピックアップしてみよう。
案1:客観的な意見を取り入れる
そもそも、警察だけでやっているから、周り全員が同じ意見になって、それが冤罪につながってしまうのだ。
だったら、そもそもその事件と一切関係のない人たちの意見を取り入れることが有効だ。
一切関係ないので、言い方は悪いかもしれないが…例えその人物が有罪になろうと、その意見を言う人たちにとっては無関係だ。
ここで重要なのは、情報の提示方法。この見せ方に偏りがあると、その意見すら操作できてしまう。
なので、条件としては、以下のようなものが挙げられる。
- その事件の人物に関する情報は一切開示しない(身体的な特徴の一致など、それが根拠となり得る場合を除く)
- 事件に関わると思われる情報(監視カメラの映像、収集した証拠など)は、全て開示する
大切なのは、とにかく感情的なものを排除し、関係する全ての「事実」のみを提示することだ。
こうすれば、より正確な客観的意見を取り入れることができるだろう。
案2:警察の捜査状況の公開
これも、客観的な意見を取り入れることにつながるのだが…
そもそも、そういった警察の捜査などは、本来公平であるべきだ。
つまり、「隠す必要などないのでは?」という考えだ。
しかし、上で挙げた番組内の事件では、録音なども警察に拒否されたという。それでは、自分から「やっちゃいかんことやってる」と言っているようなものだろう。
とはいえ、それが成り立ってしまっている。それでは、冤罪の容疑をかけられた側が不利すぎる。
例え実際に犯行を行った犯人だろうと、公開すること自体は何の問題もないはずだ。
だったら、むしろ全部を公開することを決めてしまえば、外部から「ここおかしい」といった意見も出てくるだろう。
そういったことや、そもそも今回のような不当な取り調べ等を防ぐために、これは効果的だと思う。
おわりに
いかがだっただろうか。思いのまま色々書いてしまった。
まあ要するに、冤罪をゼロにするのは無理だけど、減らすのはいくらでもできるんじゃない?ということだ。
そして、これは私個人が思っているだけでは何も変わらない。だったら、こうして書いた方がほんの0.00000001%くらいはなんか変わるのではないだろうか、と思って書いた。
色々反論の余地はあるだろうが、あなたの目に入った時点で、私の目的は達成されている。一人でも、この内容を認識してくれるだけでも変化だ。
最終的には、この変化が大きなものとなり、冤罪が減ってくれればと願う。
コメント