いきなりだが、以下のニュースを見て欲しい。
新型肺炎、中傷も拡大 ネットで患者特定(北海道新聞) – Yahoo!ニュース
なんでも、新型コロナウイルスに感染した方を特定し、叩いている人がいるようだ、というものだ。
実は何度かこの新型コロナウイルスに関して記事を書いていたが、あんまりにも話題になっていて怖くなったので非公開にしていた。
しかし、ちょっと今回は我慢できずに書き始めてしまった。色々と思うことがありすぎる。
別に、政府の対応がどうだとか、対策は云々については書くつもりは一切ない。それこそ間違っていては非常に怖いので、各自で調べて欲しい。
書きたいのは、上のニュースを見て考えたことだ。なぜ叩くのかということと、叩かないためにはどうすればいいかということだ。
前半だけでは、それこそ叩くだけに他ならない。こういったことが少しでも減ればと思って後半部分も書いている。
前提
叩くとは「相手自身や、その主張に対して攻撃する」ということだ。つまり、その目的は相手を非難することにある。
つまり、その相手に何かしらの悪い部分を見つけ、責める、というのが叩くという行為だと認識しておいてほしい。
それと、推測で書いてしまっている部分も多い。なので、あくまで1意見として見てもらえれば幸いだ。
なぜ叩くのか
推測になってしまうが、考えられる理由を分析してみよう。
推測1:対岸の火事
昨今ではこの新型コロナウイルスに関するニュースがずっとテレビでも流れている。ニュースの半分以上の時間がこの話題だろう。
でも、正直に言ってしまうが…それだけ放送されているにも関わらず、私はどうも実感がわいていない。
というのも、私自身、まだこの被害に直接影響されてはないからだ。つまり、テレビの向こう側…対岸の火事のような状況だ。
実際、この記事をご覧の方の中にも私のように「今の自分にはあまり被害がない」、つまり関係ないと思っている人もいるのではないだろうか。
あ、誤解されないように言っておくが、私は感染した方が悪いなんて微塵も思ってないし、対策もしている。ただ、それでもなんとなく実感を持てないのだ。
で、自分には関係ないから、対象がどうなろうと知ったこっちゃない。だから、叩いてもいいだろう、となってしまっているのではないだろうか。
実際は全く異なる。もはや、今ではどんなに対策をしていようと誰もが感染する可能性を抱えているだろう。
これを頭で理解さえしていれば、自分もその立場になり得るとわかるはずなので、感染してしまった方を叩くなんてことできるはずがない。
推測2:深く考えてない
上にも関連してくるところはあるのだが、恐らく叩いている人の考えは、こうだろう。
- 自分は対策してるし、そんなに関係なさそうだから大丈夫だろう
- 感染した人は対策が不足しているからだ
- 対策が不足してるから、周りにもうつすかもしれない
だから、「感染した人が悪だ」、「なんでもっと対策しなかったのか」、「もう外出るな」、と叩くわけだ。
私が思ったわけではないので、本当に叩いてる側がこう考えているのか分からないのだが、例としてこうだとしよう。
…突っ込みどころが多すぎる。まずは箇条書きの項目を一つずつ見ていこう。
一つ目は、推測1の通りだ。もはや関係ない人などいない。
二つ目、この対策がどの程度のものかにもよるが…結論から言うと、これは前提が間違っている。
そもそも、この考えの前提は、「対策をしていれば感染は防げる」というものだ。だから、「対策してなかったから感染したんでしょ?」と。
しかし、上でも書いた通り、いくら対策をしていても100%防げるなんてことは絶対にない。この時点で、三つ目の前提も崩れる。
でも、よく考えずにこういう思考をすると、「その感染した人が今度は別の人にうつす」、つまり「感染者が悪いんだ」となる…のだろうか?
冷静に考えて欲しい。何が悪いかで言えば、新型コロナウイルス以外に存在するのか?
推測3:自分を肯定するため
順を追ってみていこう。
まず、叩いている人は感染していないと思う。まあ感染してたら、自分で自分の首を絞めていることになるので、そんなことを好んでする人なんでそうそういないだろう。
そうしたら「感染してないってことは、今自分がやってることは正しい」と思い込むわけだ。
そうすると、その根拠が欲しくなる。本当に正しいのか?と。
ここで、自分が行っている対策を見直して、今すべきことを再確認する方向に向かって行けばそれでよしだ。
しかし、それが間違った方向に進んでしまう。感染していない自分ではなく、感染した人に注目してしまうのだ。
そうすると、その人の何がいけなかったかを探し、主張する。そうすることで、相対的に自分が正しかったことを主張できる。
自分が正しい理由を、他に求めてしまうのだ。これはその人自身のためにも良くない。自分が正しいのであれば、自分にその理由を求めるべきだろう。
例えば…ビジネスで成功したとしよう。今後も成功したい。
そのとき、次に取る行動はなんだろうか。自分がどうやって成功したか、その分析をするのではないだろうか。
これを、「周囲の環境が良くてたまたま自分が成功しただけだ」とする人もそんなにいないだろう。しかし、今回はこれが行われてしまっている。
一体、何が違うのだろうか。
こうならないためにどうすべきか
今回は気づくことができたが、もしかしたらこれを読んでいるあなたも、また私も、叩く側に回ってしまうこともあるかもしれない。
なので、どうやったらそれを防げるかも考えていく。何かコメントをしようと思ったら、いったん落ち着いて、これを実行してみよう。
対策1:相手の立場で考える
今回で言えば、もし自分が感染したらどうか、と考えてみる。恐らく、「自分はしっかり対策していたのに…」となるはず。
そこで、よく知らない方から色々叩かれて、どう感じるだろうか。とても、耐えられるものではないと思う。
遠いところにいる、自分には関係ない人なのかもしれない。そして、それが感覚を狂わせてしまい、ただの標的に見えてしまう。
しかし、その相手も自分と同じ一人の人間だ。本当に叩いていいのか、冷静に考えて欲しい。
対策2:その発言によってどうなってほしいかを考える
これは政治などへの意見も入ってくる。
改めて書くが、叩くというのはそもそも「相手自身や、その主張に対して攻撃する」というものだ。なぜこれが起こるかというと、自分の考えを主張するに留まっているからだ。
つまり、その後のことを考えていない。
そのため、一度冷静になり、「なんでその発言をしようと思ったのか」を考えてみよう。叩くのでないなら、何かしら「相手によくなって欲しいから」というものがあるはずだ。
そこを理由もつけて言えば、それは立派な一つの意見だ。改善策なんかがあるとなおよし。
この意見になる前に、感情や勢いだけで発信してしまう。だから、叩くことになるのだ。
要するに、今一度、自分が発言しようとしていることを見直してみよう、ということだ。
私は一応日頃からこれを心がけている…つもりだが、一部怪しい部分もある。反省したい。
ちなみに、「なぜ叩くのか」の三つ目でも似たようなことを書いているが、この2つでは、その発言の目的が異なっている。
問題なのは、その発言が「何のために」行われているか。自分を肯定するためなのか、相手をより良くするためなのか、だ。
おわりに
自分はただ意見を言うつもりだけだったのに、相手からしたら叩かれたと感じてしまう、ということもあると思うので、実際難しい問題ではあると思う。
しかし、それ以前に自分が気を付けなければ、それは叩いていることに他ならない。
常日頃、コメントや文章を書くときは、相手のことを考え、どうすればよくなっていくかを踏まえて書くようにしよう、という自戒も込め、終わらせていただく。
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